こんにちは!ウインの勝山です。
ヤフーニュースより引用致しました。
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テレビに感じた停滞感、世の中との乖離――32歳、国山ハセンが「局アナ卒業」した理由
撮影:殿村誠士
局アナの“卒業先”として、近年は桝太一や富川悠太など、研究機関や企業へと新天地を求める動きが目立つ。昨年末でTBSを退局した国山ハセン(32)も、新年早々、スタートアップ企業で新たな挑戦をはじめた。「大海原へ、小さな船で出てみようと思います」。キー局のアナウンサーという人気職を投げ打って、目指すものとは。ー取材・文:山野井春絵 撮影:殿村誠士 Yahoo!ニュース オリジナル特集編集部ー
「PIVOTの国山ハセンと申します」
撮影:殿村誠士
昨年末、国山ハセンはTBSのアナウンサーを卒業した。 入局は2013年。バラエティ、スポーツ、情報などさまざまな番組を担当し、報道番組『news23』のキャスターを最後に、約10年の局アナ生活に終止符を打った。 新年からは、ウェブやアプリのビジネス映像メディアを運営するスタートアップ(ベンチャー)企業「PIVOT」でプロフェッショナル契約を結び、勤務する。肩書は、映像プロデューサー。MCとしての役割もこなすという。 「はじめまして。PIVOTの国山ハセンと申します」 退局したばかりの国山は清々しい表情でそう挨拶し、「なんでも聞いてください」と姿勢を正した。
「フリーアナウンサー」をゴールに考えたこともあったけど
撮影:殿村誠士
アナウンサーという専門職から転職する気持ちはどんなものか。不安はないかと聞くと、満面の笑みを見せる。 「いい意味でハラハラドキドキというか。ワクワクしている気持ちのほうが大きいです。営業活動をするかもしれないし、番組制作に向けては、制作会社とのやりとり、キャスティング、企画会議など、ゼロからメンバーと話し合っていくことになると思います。そもそも、それがやりたくて参画するわけですから。今までアナウンサーで培ったコミュニケーション力、取材力が生きる部分もきっとあると思うので」 キャリアチェンジについては悩み続けていた。 「5年目ぐらいに最初の波がきました。はじめは夢中で、ただひたすら業務を覚えるという感じだったんですが、一通り慣れてくると、会社の評価制度に疑問符がつくことがあって。フィールドキャスターをやりながら、サッカー番組、情報バラエティなど、たくさんの番組を掛け持ちしてやっているんだけど、果たしてこれは何が評価基準なのだろうと、モヤモヤした感じがあって。今後、メインのMCができるようになるのかな、とか。当然、まだ経験も浅いわけですから、ここから頑張るぞと心を持ち直したんですが、また7年目で、一つ目標がはっきりとして、そこからキャリアチェンジについて明確に考えるようになりました。3年間くらい、考えに考え抜いたという感じです」 アナウンサー7年目の頃、密かに心に掲げた目標は、「フリーになること」だった。 「ならばフリーアナウンサーになることが一つのゴールだ、みたいに考えていた時期です。将来的には独立や芸能事務所に入ろうかな、と考えたことも、もちろんありましたし。はい、正直稼いでやろうと思ってました(笑)。でも、それ以外の選択肢に出合ったことは、個人的にも嬉しいことだったんです」
テレビに感じた停滞感、世の中との乖離
撮影:殿村誠士
「ニュースの現場に足を運ぶたびに、自分には何ができるんだろうと考え続ける日々でした」 『news23』の最終出演日、国山はそう言葉にしている。これは偽らざる本音だ。アナウンサーとして得難い経験を積んだが、時間が経つほどに、「もっとやりたい」という気持ちが強くなった。 「用意された原稿を読むとか、スタジオでプレゼンテーションするとかに留まらず、もっと深く、自分が関心を持っていることを取材できないか。企画をしたいと思うようになって。その気持ちの膨らみも、(退局を決めた)大きな要因だったと思います」 その思いを、局内で実現するという選択肢はなかったのか。国山は複雑な表情を見せた。 「もちろん、そういう選択肢もあったと思います。でも自分がやりたいことは、例えば映像の尺ひとつ取ってみても、短いものではなくて、もう少し取材対象者の言葉だったり、番組作りそのものを深く、ゼロから作り上げてみたいという思いがあって。一度環境を変えてみる方が、今の自分には必要だなと……」
撮影:殿村誠士
テレビでは、やりたいことができない。そういう思いがあったのか。 「制限はすごく多いと思います。時間をかける割に、出せるものも限られていたり、方向性も見えないことがあって」 局内での異動が、すなわちキャリアアップに値するかどうかも、微妙なところだと国山は言う。組織のあり方そのものが古いと感じることもあった。 「新しくしようという動きも感じましたけど、そのスピード感は、自分から見ていてもまだまだ遅い。番組は変わっても、スタッフや企画の取り上げ方、画の見せ方などはずっと変わっていないところがある。世の中の変化を感じる一方で、そういう乖離と停滞感を感じることはありました」
辞意を告げたあと、安住アナと二人で飲みに
撮影:殿村誠士
TBSといえば、安住紳一郎アナ、江藤愛アナらが看板だ。「スーパー会社員」を自認する江藤アナは、「定年まで勤め上げるのが夢」と語る。ネット隆盛で若者のテレビ離れが加速してはいても、まだまだアナウンサーは花形職業の一つ。全国の大学・大学院生が、就職試験でしのぎを削る。 根っからのテレビっ子だった国山も、そんな大学生の一人だった。7次まであったという試験を勝ち抜き、TBSのアナウンスルームに入室。応募1社目での合格だった。 「本当に、運がよかったと思いますね。ありがたいことです。安住さん江藤さんのように、会社への満足度が高く、やりたいことができているという方もいらっしゃいます。ただ、社会全体がこれだけ変化していく中で、もっとアグレッシブに活躍したいと考える若い世代が、年功序列でゆっくり進む組織で危機感を持つ……これはアナウンサーだけではなくて、制作者や他の企業にも同じように感じているはいると思います。僕は、中から変えるよりも、外に出ることでもっと見えるものがあるんじゃないかと思ったんです」
撮影:殿村誠士
近々、辞意を会社に伝えよう。そう考えていたある日、デスクでPCに向かい番組の準備をしている最中、たまたま複数の業務連絡メールが送られてきた。細かな内容を一つひとつ確認している最中に、「何かがピンと切れた感じ」がした。 「今だな、と思っちゃって。その瞬間に、上司に連絡をしました。『面談をお願いします』と」 そこから10回ほどの面談が決まり、安住アナとも話すように、と言われた。 「二人で飲みにいきました。止められるというよりは、第一声、『よく頑張ったね』という言葉をいただいて。安住さんはいろんな経験をされて、たくさんの先輩、後輩たちを見てきた方です。正直に、現状や課題点、自分が抱えた思いも伝えて、最終的には楽しくとても有意義な時間でした」 それから数カ月、覚悟していた風当たりは局内で感じることはなかったという。有給休暇は消化できないまま消滅したものの、無事に円満退社を迎えた。
SNSが、アナウンサーにとっては大きなターニングポイントだったのでは
撮影:殿村誠士
元日本テレビの桝太一は、フリーアナウンサーとして活動しながら、同志社大学ハリス理化学研究所で専任研究所員を務める。元テレビ朝日の富川悠太は、ジャーナリストとしてトヨタ自動車に入社した。局の看板を背負っていた人気アナの動きにも影響を受けたか問うと、大きく頷いた。 「他局の後輩としても、衝撃的でした。でもたぶん、桝さん、富川さんも、男性アナウンサーとしての共通の悩みのようなものがあったんじゃないかなと思うんですよ。30代、40代でキャリアパス的なことを考える中で、今後どうやっていくのか、会社での立場がどうなるのかという、葛藤やモヤモヤ、いろいろと。自分ととことん向き合って、見つけて、キャリアチェンジをされていった先輩たちの姿は、新しいな、と感じました」 業界用語を使い、札束を振ってタクシーを止めた……などの逸話が残り、バブル期のTV局員には、「稼げる職業」代表のイメージがあった。あの時代にアナウンサーになっていたとしたら。
撮影:殿村誠士
「いいですねえ(笑)。僕、昭和憧れ平成生まれなんですよ。だからTVに華やかなイメージはずっと抱いてきました。すでに学生の頃からテレビ離れと言われていましたけど、いやいや、ここからもう一度盛り上げるんだという志で入ってますから。ただやはり、SNSはアナウンサーにとっても大きなターニングポイントだったんじゃないでしょうか。僕たちは、少し前まではSNS禁止だったんですよ。ここ2、3年で一気に解禁されて、みんな自由にやってますけど。メディアが多彩になり、発信できる環境が増えたという意味では、テレビ局員からすると、良くも悪くも岐路ではあるかな、と思いますね」
僕は小さい船を選んでみました
撮影:殿村誠士
国山にとって、アナウンサーという仕事はどういう位置づけなのか。 「そこは僕、あまり悲観的じゃないんです。憧れの職業に就きました。でもまた別のものに憧れたから、そっちへいきます、みたいなことって、どんどん増えていいなと思っているんですよ。アスリートにも現役の時代があれば、指導者になるとか、まったく違うことをする人もいる。そういう意味では、プロフェッショナルになるということは、別にどの職種でも同じだと思うから、そこは環境を自由に変えていいんじゃないですか。何か自身に、強みがあれば。その強みを作るという意味で、アナウンサーを目指すのは、とてもいいことと思います。アナウンサーとして、より職人気質を高め、極めるというやり方も当然素晴らしいと思いますし」 新たな挑戦ができたのも、アナウンサーを経験できたからだと国山は言う。 「アナウンサーになってよかったことは、無数にあります。なかなかできない経験がたくさんできましたし、社会人としての基礎も、アナウンサーとして培うことができた。番組、社内の環境、人にも、僕は本当に恵まれてきたと思います」 新たな職場で最初に取り上げたいテーマは、すでに決まっているという。 「僕自身が30代前半で、大企業をやめ、スタートアップ企業に行く人間なので、自分自身をモデルとして、転職、挑戦を後押しするような番組を。誰と対談するか、どんな演出をするか、もう考えただけで楽しい。伝えたいことを、ターゲットへ真っ直ぐに届けたい」 PIVOTはまだ社員20名ちょっとの、小さなスタートアップ企業だ。オフィスもヴィンテージマンションの小さな部屋。ここから変わる。変えてみせる、と国山は意気込む。 「大海原へ、小さな船で、ちょっと行ってみようかな、という気持ちです。前職では、遠くへ行くには大きな船で、という雰囲気がありましたけど、僕は小さい船を選んでみました。創業期に携われるチャンスは、なかなかありませんから」 ___ 国山ハセン(くにやま・はせん) 1991年東京都生まれ。2022年まではTBSテレビのアナウンサー。中央大学商学部卒業。『アッコにおまかせ!』『グッとラック!』などに出演。2021年の2020年東京オリンピックでは、報道系アナウンサーの一人として活躍。2021年8月より、『news23』のキャスターを担当。2023年から、ビジネス映像メディアを提供する「PIVOT」に入社。映像プロデューサー兼MCとして活動を始める。
色々な道がありますからね~、頑張ってほしいです。
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口コミも沢山入れていただいています。
多数の口コミの中からひめさんの書き込みです。
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本日は、 【テレビに感じた停滞感、世の中との乖離――32歳、国山ハセンが「局アナ卒業」した理由】について書きました。