こんにちは!ウインの勝山です。
ヤフーニュースより引用致しました。
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池田理代子『ベルサイユのばら』50年の誕生秘話。原稿料は男性の半分、「悪書」と目の敵に。逆風の中支えてくれたモハメド・アリの言葉とは

今年は、『ベルサイユのばら』連載開始から半世紀のメモリアルイヤー(池田理代子さん)撮影:宮崎貢司
今年は、『ベルサイユのばら』連載開始から半世紀のメモリアルイヤー。世代を超えて読者を魅了し続ける名作はどのようにして生まれたのか。作者の池田理代子さんが振り返ります(構成=上田恵子 撮影=宮崎貢司) 【画】何度読んでも涙…オスカル最期の場面 * * * * * * * ◆「ここがアンドレの亡くなった場所です」 もう何十年も前になりますが、初めてフランスを訪れた時に、バスツアーのガイドさんが「日本の若い女性がベルサイユを舞台に物語を描きました」と案内しているのを聞きました。数年前に旅した際には、フランス人のガイドさんが「ここがアンドレの亡くなった場所です」と(笑)。私はそういう時、絶対に名乗りません。ですので、いずれのガイドさんも、その作品を描いた人間が目の前にいたことは知らないままです。 1972年、24歳の時に『ベルサイユのばら』(以下、『ベルばら』)の連載をスタートさせました。あれからもう50年なんてね。半世紀の間に読者の年齢も幅が広がりました。最初の読者からは「嫁入り道具として持っていきます」とお手紙をいただきましたし、15年くらい経って娘さんから「母から薦められました」と。現在の読者は3世代目。中高生から「おばあちゃまが読んでいました」とお手紙をいただきます。 私が『ベルばら』の構想を思いついたのは高校時代。高2の夏休みにシュテファン・ツヴァイクの小説『マリー・アントワネット』を読み、漫画でも小説でもいい、彼女の生涯を作品にしたいと強く思いました。愚かで可愛いだけの女の子が、不幸のなかで人間として成長していく。その過程が印象的だったのです。 タイトルも当初から決まっていました。ばらはアントワネットのイメージ。本人もばらの花が好きだったらしいので、迷いはありませんでした。そうして下積み時代も、雑誌デビュー(67年)後も、いつか形にしたいと思い続けていたのです。
◆不摂生がたたり、後年一気に体にガタが 初めて長編連載のチャンスをいただいて、『ベルばら』が始まったのは、まだ海外旅行が高嶺の花だった時代。物語の舞台は18世紀後半のフランスでしたが、現地に取材など行けるはずもなく、今のようにインターネットもありません。手がかりは書籍のみ。東京・神田の古本屋さんでフランス関連の文献を買い集め、蔵書が充実していた小学館の資料室にもお世話になりながら、描き進めました。どうしてもわからないことは、専門の学者にお聞きしたりも。想像で描いたために、ありえないミスもしました。作品を見るとわかるんですが、街の遠景に、当時はまだなかったサクレ・クール寺院が。まあ、エッフェル塔を描かなかっただけよかったのですけど。(笑) 2年未満の連載中には、一から絵の勉強をしました。私は自己流で漫画を描いてきたので、とにかく下手だったんです。思い通りに描けないもどかしさもあって。美大の学生さんからデッサンを学んだおかげで、連載後半はぐっと描きやすくなりました。 とはいえ、週刊連載で1回分が23ページ。最初は1人で描いていたものの、あまりの作業量の多さに途中からアシスタントさんに来てもらうようになりました。締め切り前になると、2~3日の徹夜は当たり前。それなのに並行して63ページの読み切りまで描いていたのですからね。我ながら若かったと思います。ただ当時の不摂生がたたり、後年一気に体にガタがきたので、無理はするものではありません。 萩尾望都さんや木原敏江さんなど、同時期に活躍していた漫画家仲間との交流は、創作活動の大きな励みになりました。当時、彼女たちは埼玉県飯能に住んでいて、私は千葉県の柏在住。お互いに忙しかったためなかなか会えず、電話で話すのが精いっぱい。最長で8時間、話し続けたこともあります(笑)。お互いに描きたいものがまったく違うので、いい刺激を受けましたね。

海外のほうが作品の価値をまっすぐに認めてくれると語る池田理代子さん(撮影:宮崎貢司)
◆「漫画は子どもに害を与える悪書」 とはいえ、その頃の日本は完全なる男社会。編集部も男性ばかりでした。『ベルばら』にしても、当初は「おんな子どもに歴史ものなどウケない。理解できるはずがない」とひどい言い方で全否定されて。女性漫画家への風当たりも強く、原稿料は男性の半分。同じ媒体で、同じくらい人気があってもです。理由を尋ねると、「女は将来結婚して男に食わせてもらうんでしょう? 男はあなたたちを食わせなきゃいけないの。ギャラが倍なのは当たり前」と言われました。すごい時代ですよね。 のちに出版社を移ることになり、その際に原稿料を確認したのですが、それも良くなかったようです。ほかの漫画家さんはお金に無頓着で、そんなこと聞かないんですって(笑)。後で、編集者たちから「金銭に汚い女だ」と言われていたそうです。 ファンレターの中には意地の悪い言葉もありました。たとえば「あなたのような女がこの世にいるのが目障りでならない」というものとか。作者である私も、フランス貴族のように華やかな暮らしをしていると思われたのでしょうか。実際は『ベルばら』がヒットするまで、アルバイトで生計を立てていたんですけど。 背景には、漫画家の地位の低さもあったと思います。保護者からは、「漫画は子どもに害を与える悪書」と目の敵にされていましたから。手塚治虫先生も、自分の作品が校庭で燃やされたとおっしゃっていました。 一度、漫画を批判する方に「なぜ活字は良くて漫画はいけないのでしょう?」と尋ねたところ、「小説は場面を文字だけで表現するから空想の余地がある。漫画は絵で決まってしまうからダメだ」と言われました。「ならば映画はどうですか?」と返したら無言になっていましたね。 評価という意味では、海外のほうが作品の価値をまっすぐに認めてくれます。特にヨーロッパでは、「これは女性向きの漫画、これは男性向きの漫画」という区切りがありません。日本との文化の違いを感じます。

(C)池田理代子プロダクション
◆逆風の中、心の支えになったのはモハメド・アリの言葉 逆風の中で心の支えになったのは、プロボクシングの元世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリ(カシアス・クレイ)の存在です。彼はベトナム戦争への徴兵を拒否したことで、国からタイトルとプロの資格を剥奪されました。「なぜ1万6000キロも離れたところに行って、何の関わりもない東洋人を殺さなきゃいけないんだ」とは彼の言葉。圧力をかけられても信念を貫く姿に強く惹かれて……。私もぶれない軸を持ちたいと強く思いました。 中学卒業時に恩師から贈られた、「弱者の言葉は常に正しい。かかる社会的真理を追究されたし」というメッセージも忘れられません。この言葉がなかったら、貴族であるオスカルが民衆の側につくこともなかったでしょう。 そして、何よりも大きかったのは読者からの声です。もともとは子どもの読者に向けて描いた作品。ところが次第に、男社会で闘う男装の麗人・オスカルの生き方が、大人の女性、特に働いている女性の共感を呼んだようです。これは、予想外の反響でした。 また、それまで「漫画など読むな、学校にも持ってくるな」と言っていた先生が、「『ベルばら』を読みなさい」と生徒に薦めたとか。そういう話を聞くたびに、描き続けて良かったと心から思います。 2014年からは40年ぶりに、アランやフェルゼン、ロザリーなどを主人公とした「エピソード編」を発表しました。今はもう、漫画にしたいテーマはありません。しいて言うなら、生きているうちに2冊目の歌集を出すことが目標かしらね。 私もいつか世を去りますが、作品は残る。この先も『ベルばら』を読み継いでいただけたら、これほど幸せなことはありません。 (構成=上田恵子、撮影=宮崎貢司)
半世紀!!! 素晴らしいですね。これからも継続しますね!!!
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本日は、 【池田理代子『ベルサイユのばら』50年の誕生秘話】について書きました。