こんにちは!ウインの勝山です。
ヤフーニュースより引用致しました。
見出し
「東京ディズニーランド」「東京ドイツ村」 なぜ千葉県の大型施設には「東京」がよく使われるのか
「東京」を冠する千葉スポット
「東京」ディズニーランド最寄り駅の舞浜駅(画像:写真AC)
東京都内になくても、名称に「東京」が入る会社やマンション・アパート、店舗は多い。大きな意味での東京圏という意味なのだろう。当然、イメージをよくしたいという思いも働いている。首都圏以外でも、知名度の高い中心都市の名称を冠することはよくあり、特に珍しいことではない。しかし、千葉県では県のシンボルとなるような大型施設の名称にまで「東京」が頻繁に使われている。2004(平成16)年には民営化に伴い「成田国際空港」に改名したものの、新東京国際空港(成田市)、東京ディズニーランド、東京ディズニーシー(ともに浦安市)、東京ドイツ村(袖ヶ浦市)など、ベイエリアでは「東京湾」に面しているという理由で「東京」を使用する施設が多い。ここまで主要施設に他の都市の名称を使用する県も珍しい。 【画像】えっ…! これが37年前の「東京ディズニーランド」です(11枚) もちろん、背景にはイメージをよくしたいという思いが強くあることは間違いない。また、そのほかの大きな理由のひとつとしては「CHIBA」という言葉の響きが英語の薬物を意味するスラングに似ており、外国人には印象がよくないことから、外国人の利用が多い施設において敬遠されたということもある。 しかし、それならば県ではなく市の名称や、千葉県をイメージさせる別の言葉を使うことも考えられただろう。なぜ千葉県ではここまで「東京」を冠するのだろうか。
東京都への就業・通学流出が顕著
東京都への就業・通学流出率(画像:国勢調査のデータを基にMerkmal編集部で作成)
改めて、千葉県の立地特性と就業構造を見てみたい。 千葉県の中心都市である千葉市と東京都中心部は首都圏の東方面の大動脈であるJR総武本線で直結しており、JR千葉駅からJR東京駅までは総武線快速で約40分で結ばれている。 そのほかにもJR京葉線、JR常磐線、京成線、最近ではつくばエクスプレスなど、千葉県内には東京都中心部に乗り入れる鉄道網が多数存在しており、東京への通勤・通学には非常に便利だ。 新型コロナウイルス感染拡大前の2015年の国勢調査によれば、千葉県西部の都市の東京都への就業・通学流出率は ・市川市:46.8% ・松戸市:35.7% ・浦安市:48.6% と高い比率になっている。同じ首都圏の埼玉県や神奈川県の都市を見ると、埼玉県は ・川口市:33.2% ・戸田市:39.4% であり、神奈川県は ・川崎市:41.1% であることから、東京都に近い都市では千葉県から東京都への流出が顕著であることがわかる。 千葉県西部のエリアでは高度経済成長期からバブル期にかけて、交通の利便性を生かして宅地開発が活発化し、東京都ベッドタウンとして発達してきた。 千葉県以外の地域から流入した人も多く、都内の職場で働き、日常品以外の買い物やレジャーも都内の施設に出掛けることが多かったため、自分が千葉県民だという意識が薄い住民が多く存在した。バブル期において、千葉県西部の住民は意識的にはどちらかというと都民であったのだろう。
農業や漁業が盛んだった千葉県
千葉県の田園風景(画像:写真AC)
しかし、これだけでは千葉県の状況を説明しきれないだろう。千葉県の都市開発を振り返るとそのヒントがあるかもしれない。都市開発における千葉県の方向性を考えるに、まずかつてのリゾート開発を振り返ってみたい。 1987(昭和62)年に総合保養地域整備法(リゾート法)が制定され、東京からの日帰り圏で、海に面して豊かな自然を持つ千葉県にも白羽の矢が立った。当時のリゾート開発計画の机上においては、同じように東京からの日帰り圏で海に面する神奈川県との対比がよくなされている。 神奈川県は昔から著名人の別荘や緑の地が多くあってハイソサエティなイメージがあり、地形が比較的起伏に富んで多彩な観光資源に恵まれていた。また、横浜は港町の景観とおしゃれな雰囲気から、すでに若者のデートスポットとして人気を博していた。 それに対して、当時の千葉県は農業や漁業が盛んだったことから漁港や里山ののどかな景観が広がっており、海水浴などファミリーレジャーのよい受け皿であったが、残念なことに当時の行政やデベロッパーにこのような資源への興味はなかった。なぜなら、バブル期のレジャーは高額支出するカップルがメインターゲットで、特に 「若い女性」 が重視されたからである。 千葉県においては、田舎っぽいイメージをおしゃれに刷新する方向に開発のベクトルが向いた。 ・リゾートホテル ・リゾートマンション ・分譲別荘 ・ゴルフ場 ・ヨットハーバー などが計画され、元々の自然を生かすというよりは、すべて異なるものに作り変える勢いであった。
成田空港が1978年にオープン
成田国際空港(画像:写真AC)
1970~1980年代の千葉県は他県に先んじて首都圏の都市基盤を担う大型施設の誘致に注力し、箱物行政を強力に推し進めていた。1978(昭和53)年には新東京国際空港がオープン、さらに ・成田国際空港都市構想 ・幕張新都心構想 ・かずさアカデミアパーク構想 からなる「千葉県新三角構想」が計画された。 当時の為政者には、県内まったく新しい土地に作り変え、東京都の一部として発展していこうとする強い意志が働いていた。そのころの千葉県は首都圏といっても、実際は 「どこにでもある地方都市」 の様相を呈しており、「千葉県」という言葉には田舎のイメージがついて回っていた。 また、ベッドタウン化が進展しはじめていた県西部も、地域によっては駅周辺に昔からの歓楽街があり、住宅地としてイメージが悪かった。千葉県の成長のためにはイメージの刷新が急務だったのだろう。この時期から「東京」を冠する施設が多く開発されるようになった。
大型開発のとん挫 = むしろ幸い?
幕張新都心(画像:写真AC)
しかし、バブルの崩壊に伴い、このような箱物開発も多くが破綻する結果となった。新東京国際空港は農業の盛んな地域に強引に開発したことから農家との闘争が続き、なかなか拡張することができなかった。後になって、国際空港としては ・都心部から離れすぎている ・危機管理の観点から臨海部に開発すべきだった など問題点も露呈した。 幕張新都心も1989(平成元)年に中核施設となる「幕張メッセ」をオープンさせたものの、すぐに景気が後退してオフィス需要は苦戦した。鳴り物入りだった房総半島の大型リゾート開発もとん挫して、結局ゴルフ場のみが残った。 しかし、千葉県の漁業や農業の新鮮な食材や豊かな里山は、まさに現代の都市生活者が保養地に求めているもので、重要な地域資源といえる。 近年、房総半島には農業をベースにしてSDGsやグランピングなどを取り入れた新しい感覚の施設が次々に生まれ、かつて希求されていた若い女性の集客も見られる。バブル期の多くの大型開発がとん挫したことで、このような資源が残ったことはむしろ幸いだったのだろう。週末は、千葉県の新しいに施設に遊びに行かれてはいかがだろうか。
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本日は、 【「東京ディズニーランド」「東京ドイツ村」 なぜ千葉県の大型施設には「東京」がよく使われるのか】について書きました。