こんにちは!ウインの勝山です。
ヤフーニュースより引用致しました。
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[イルカさん]夫に「私を全部あげます」…最愛の人はパーキンソン病 きっと天国で「僕たちも役に立ったよね」と言っている
ウェルネスとーく
シンガー・ソングライターとして、日本の音楽シーンに確かな足跡を残してきたイルカさんは、2021年にはデビュー50周年を迎えました。誰もが心の奥底に持っている「やさしさ」や「哀(かな)しさ」、それに「いつまでも忘れられない情景」などを、穏やかなメロディーに乗せて私たちに届け続けてくれています。 【写真5枚】イルカさんの夫婦デュオ時代。夫の神部和夫さんと どんなときも笑顔を絶やさないイルカさんにも、大切な人の「生と死」に直面した過去があります。夫であり、音楽面でも彼女を支えたプロデューサーの神部和夫さんが難病のパーキンソン病を患い、この世を去ったのが07年3月21日のこと。 あなたに初めて出逢った日 懐かしい気持ちに包まれた きっといつまでもこの人と、居る様な気がした遠い日… (「はるじょおん ひめじょおん ~野生の花~」 作詞・作曲イルカ) 2人の出会いから、二人三脚で病と闘った日々を振り返ってもらいました。(聞き手・染谷一)
夫には「私をあげますから、好きなように」と
撮影・小倉和徳
――2021年がデビュー50周年、そして、神部和夫さんが亡くなってから昨年で15年が過ぎました。 夫に出会っていなかったら、私は100%、歌っていませんでした。自分からオーディションに行くことなど、絶対に考えられないタイプですから。「イルカ」という得体のしれない存在を発見してくれたことへの感謝は、年々深まっていきますね。 ――大学の部活を通じて、おふたりは出会った。 夫が21歳、私が18歳のときでした。大学は違ったのですが、フォークソング同好会での交流があって、私の存在に衝撃を受けたらしく、ずっと観察していたらしいんです。 ――存在に衝撃! 「ダイヤの原石」として? それまで出会ったことがない「珍獣」みたいなものとして(笑)。 ――いやいや(笑)、20歳前後の若い男の子ですから、異性として「いいな」と思わなければアプローチしなかったと思いますよ。 ないない、それはないと思います(笑)。得体のしれない何かを私から感じて、それを発掘してくれたんです。よくぞ発見してくれた(笑)。 ――もちろん、イルカさんご自身も、神部さんから影響を受けたわけですよね。 彼は日本の歌をとても大切にしていて、米国にはフォークがあるけれど、日本にだって民謡や唱歌がある、と考えていた。それに、神部和夫という人に出会って、言葉の大切さも教わりました。 ――イルカさんの曲にはラブソングもあるし、メルヘンっぽいもの、それに社会的なメッセージをガツンと伝えるものもありますよね。 日ごろ、私が感じていることが言葉として曲に乗ったとき、聴いている人が共感してくれることに、彼は気づかせてくれました。「いいメロディー」「楽しい」と思ってもらうだけではなくてね。 ――出会ってから、イルカさんが大学を卒業すると間もなく結婚し、同時に夫婦デュオ「シュリークス」としてデビューとなりました。 彼は歌ってはいましたが、もともと音楽プロデューサーになるという意思が強かったんです。大変な思いをして生活している人たちが、苦労を忘れて楽しめたり、感動したりできるものを作り、それを動かせるプロデューサーになろうと、高校生のころから決心していたようです。
撮影・小倉和徳
――その意思の通り、2年後にはシュリークスを解散、イルカさんがソロでデビューし、神部さんはプロデュースに回ります。 彼から「これからはソロでやっていけ」と言われたとき、私は「絶対に嫌だ!」と言い張ったんです。自分はそういうタイプじゃないと考えていたし、結婚していたので、家事もやりたかった。それでもプロデューサーとして彼がどんどん話を進めてしまうので、最後には折れて「仕方ない」と覚悟を決めました。「もう、私を全部あげますから、どうなるか、素材として使ってください」と言って。 ――私を全部あげます(笑)。 それだけに、私はむしろ気楽でした。自分のことをあげちゃったんだから(笑)。好きなように料理してもらって、失敗だったら仕方ないと、人ごとみたいになりました。
最初は左手がピクピクとけいれんして
――だからこそ、イルカさんの持ち味でもある「ド天然」のまま活動できたわけですよね。少し前に執筆された「もうひとりのイルカ物語」(マガジンハウス)で印象的だったのは、「イルカっていうのは、僕とお前が育てた大切なアーティスト」と神部さんが言っていたという部分です。確かに「イルカ」は1人のシンガー・ソングライター名なのですが、同時に神部さんと2人のユニット名でもあったわけですね。 その通りです。ソロで歌っているのは私でも、彼がいつも守ってくれ、ずっと先までレールを敷いてくれました。 ――ソロデビュー後、大ヒット曲にも恵まれ、お子さんも生まれました。イルカさんだけでなく、神部さんにとっても、さまざまなアーティストのプロデュースを手掛け、順調にキャリアを重ねていたさなか、体に異常が発生した。 最初は左手の薬指がピクピクとけいれんしました。本人は「気持ち悪いよ」と言っていましたが、同時にいつも疲れた顔をしていました。365日働いている人でしたし、毎日帰宅するのも明け方になって。ちょっと仮眠取って、また仕事に出たり、ゴルフに行ったり。私や同居していた母が「少し休んだほうがいいんじゃない?」と言っても、耳を貸すような人じゃないから。
撮影・小倉和徳
――仕事が充実していたからこそ、無理をしてしまったんでしょうね。 病院で検査を受けても、内臓などは「異常なし」でした。当時、まだパーキンソン病が一般的に知られていなかったので、原因がさっぱりわからなかったのです。「やっぱり疲れているんだから、たまにはゆっくり家でごはん食べてよ」なんて言っていたぐらいです。そのうち、徐々に体が思うように動かなかったり、夜中に急に足がすくんでしまったりするようになって。 ――それは不安ですよね。 しばらくすると、「外に行きたくない」と言い出し始めました。あれだけ仕事で飛び回っていた人だから、「これはただ事じゃない」と思い始めました。あちこちの病院に出向きましたが、やっぱり原因がわからない。それがさらにストレスになって、「病院にも行きたくない」となって。 ――気持ちはわかります。 結局、脳神経外科でパーキンソン病とわかるまで3年近くかかりました。医師からは「すぐに命にかかわる病気ではないが、まだ解明されていないし、特効薬もない」と言われました。
夫は天国で「僕たちも役に立ったよね」と言っているはず
――イルカさんご自身はどう思いましたか? むしろ、ちょっと安心しました。私自身は、病名がはっきりしたので、「覚悟して生きていかなければいけないけれど、すぐに死んじゃうこともないのなら、一緒にいろいろ頑張っていけばいい」と思いました。それからは、おびただしい数の薬を出されたので、仕切りをつくった箱で整理をして、体温、脈、血圧、排便などを記録していきました。 ――夫婦で力を合わせての闘病は、2007年に亡くなるまで20年にも及びました。仕事をしながらで、大変でしたね。 夫はやんちゃをするタイプだったので、薬が効いて、ちょっと調子がいいと、勝手にどこかに出かけちゃったりするんです。あるとき、私が仕事で九州にいたら、息子から電話がかかってきて「今、警察にいるんだ」と言うのです。びっくりして「どうしたの?」って聞いたら、お父さんが車を運転して出て行っちゃったんだ」と。冷や汗が出ました。話を聞くと、運転中に突然体が動かなくなって、ガードレールに突っ込んじゃった。しかも警察が調べたら、ブレーキを踏んだ形跡もない。 ――なんと! 大丈夫だったんですか? 幸い大けがはなかったんですが、クルマは廃車になりました。買ったばかりの新車だったのに(笑)。それに、神経症状が出ていたので、無意識に表情がニヤニヤしてしまうことが多かったので、タクシーに乗ったときに、運転手さんから「気味が悪いから降りてくれ」と言われたこともあります。 ――それはご本人も家族も傷つく。 もちろん傷つきますよ。でも、相手の気持ちになれば、そう感じちゃうことも仕方ない。だから、「降りてくれ」と言われても、腹は立たなかったです。 ――今の社会は、他人に対して、そういう鷹揚(おうよう)な部分が欠けている。ちょっと不快な思いをするだけで、SNSで告発したり、騒いだりして、相手を叩きのめそうとする。 みんな弱いし、自分の弱さを自覚しているから攻撃的になるんだと思います。誰だって、傷や悲しみを抱えて生きている。みんなが幸せになれれば、そうではなくなると思います。 ――パーキンソン病には、当時よりもいい薬が出ていますので、もう少し発症が遅ければ、経過や結果が違ったかもしれない。 そうかもしれませんが、病気は運命だと思うし、闘病について私たちがやってきたことだって、後の薬の開発の役に立っていると思います。夫も天国で「僕たちも役に立っているよね」と言っていると思います。
イルカ
東京都出身。女子美術大学に在学中からフォークグループを結成、夫婦デュオのシュリークスを経て、1974年ソロデビュー。翌75年「なごり雪」が大ヒットし、一躍、日本を代表するシンガー・ソングライターに。80年には女性シンガー・ソングライター初の日本武道館公演を成功させ、現在も毎年全国ツアーを続けている。2004年7月、IUCN国際自然保護連合初代親善大使に就任、22年よりIUCN日本委員会と共に活動を継続中。22年8月に50周年記念アルバム「うた の こども」(CD)を発表。同年10月に開設した「IRUKA Official YouTube Channel」(https://www.youtube.com/channel/UCmTsxaDMEletl_LAXsLIXzQ)では、オリジナル曲「サラダの国から来た娘」「まあるいいのち」の2曲をボカロ曲にアレンジし、実の孫である月下推敲さんがイラストを付けるコラボがスタートした。時を同じくしてTwitter(@IRUKA_50th)も開設し、ますます活動の場を広げている
イルカさん大ファンです!!! 病には、勝てませんね。
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